暗黙知を形式知に変える傾聴術:ベテラン社員の知見を「聴く力」で引き出す方法
なぜ、ベテラン社員の「暗黙知」を引き出す必要があるのか
ビジネスの現場では、マニュアルやデータだけではカバーできない、長年の経験に基づく深い知恵や勘、判断基準といったものが存在します。これらは「暗黙知」と呼ばれ、特にベテラン社員や特定の分野の専門家が豊富に持っています。
しかし、暗黙知は本人にとってあまりに当たり前であったり、言語化が難しかったりするため、意識的に共有されないまま失われてしまうリスクがあります。人材の流動化や世代交代が進む現代において、この暗黙知をいかに引き出し、組織全体の資産として活用・継承していくかは、多くの企業にとって重要な課題となっています。
この課題に対し、傾聴スキルは非常に有効なアプローチとなります。単に「話を聞く」のではなく、相手の背景にある思考や感情に寄り添い、信頼関係を築きながら深く「聴く」ことで、本人も気づいていない、あるいは言葉にできていない暗黙知を引き出すことが可能になるからです。
この記事では、傾聴がどのようにベテラン社員の暗黙知を引き出すのに役立つのか、そして具体的にどのような傾聴スキルが実践できるのかを解説します。
暗黙知が引き出しにくい理由と傾聴が役立つ理由
ベテラン社員が持つ暗黙知は、なぜ簡単には引き出せないのでしょうか。主な理由として以下が挙げられます。
- 言語化の困難さ: 経験に基づく勘やコツは、論理的に説明するのが難しく、本人もどう伝えればよいか分からない場合があります。
- 無意識の行動: 長年の経験により、特定の状況判断や作業手順が無意識のうちに行われており、それが特別なスキルであると認識していないことがあります。
- 共有する機会の不足: 日々の業務に追われ、じっくりと自身の経験を語る機会が少ない、あるいは話す場の設定がない。
- 心理的なハードル: 「こんなこと話しても意味がないだろう」「今さら聞くのは失礼では」といった話し手、あるいは聞き手側の遠慮や思い込み。
このような背景から、一方的な質問や形式的なヒアリングでは、暗黙知の核心に触れることは難しいのです。ここで傾聴が力を発揮します。
傾聴は、話し手が安心して自身の内面を語れる環境を作り出します。相手に寄り添い、共感を示すことで心理的なハードルが下がり、言語化が難しいと感じていることに対しても、根気強く耳を傾ける姿勢が話し手を促します。また、言葉の裏にある感情や文脈、非言語的なサインを捉えることで、表面的な情報だけでなく、その行動や判断の背景にある深い思考プロセスや価値観に迫ることができます。
暗黙知を引き出す実践的な傾聴スキル
ベテラン社員から暗黙知を引き出すためには、特別な技術というよりは、基本的な傾聴スキルを意図的に、そして丁寧に使うことが重要です。以下に具体的な実践方法をご紹介します。
1. 事前の準備と心構え
- 相手への敬意を持つ: 長年の経験や培われた知見に対する深い敬意を持つことが、対話の土台となります。
- 目的を明確にする: 何を知りたいのか、どのような状況や判断に関する知見が必要なのかを整理しておきます。ただし、対話の中で新たな発見がある可能性も開いておきます。
- 相手の状況を把握する: 相手の業務状況やコンディションに配慮し、話を聞くのに適した時間と場所を確保します。
2. 対話中の傾聴テクニック
- オープンクエスチョンで語りを促す: 「はい/いいえ」で答えられるクローズドクエスチョンだけでなく、「どのように」「どのような時」「なぜそう思われますか」といったオープンクエスチョンを多用し、相手が自由に考えや経験を語れるように促します。
- 例:「〇〇さんがこのプロジェクトで最も難しかった点は何ですか?」「その時、どのように乗り越えたのですか?」
- 沈黙を恐れない: 相手が考えを整理したり、言葉を探したりしている間の沈黙は、貴重な時間です。焦って口を挟まず、待つ姿勢を見せます。
- 非言語サインに注意を払う: 表情、声のトーン、ジェスチャーなども重要な情報源です。言葉にならない感情や迷い、確信などを読み取ろうと努めます。
- 相槌やうなずきを効果的に使う: 適切なタイミングでの相槌やうなずきは、相手に「しっかり聞いている」「話を受け止めている」という安心感を与え、さらに話を引き出す効果があります。
- オウム返しや言い換えで理解を確認する: 相手が言ったことをそのまま繰り返したり、自分の言葉で要約したりすることで、理解のずれを防ぎつつ、相手に「正確に伝わっている」と感じさせます。これにより、さらに詳細を語ってもらいやすくなります。
- 例:「つまり、〇〇という点が特に重要だと感じられたのですね?」
- 感情やニュアンスを聴き取る: 事実だけでなく、「その時、どう感じましたか?」「〇〇ということについて、どのような思いがありますか?」のように、感情や感覚に焦点を当てた質問をすることで、判断の背景にある価値観や哲学を引き出せる場合があります。
- 具体的なエピソードや比喩を引き出す: 抽象的な説明になりがちな暗黙知は、具体的なエピソードや、その人が普段使っている比喩や例え話の中に隠されています。「例えば、どんな時ですか?」「〇〇に例えると、どういう状態ですか?」といった問いかけが有効です。
- 「当たり前」に疑問を持つ: 相手にとって「当たり前すぎる」と感じられていることにこそ、暗黙知が潜んでいます。「なぜ、あえてそうされるのですか?」「普通はこうしないのに、なぜ〇〇さんの場合は違うのですか?」のように、その「当たり前」の理由や背景を掘り下げて質問してみます。
3. 避けるべき行動
- 一方的に質問リストを読み上げる: 会話ではなく尋問のようになり、相手は心を開きにくくなります。
- 話を途中で遮る: 相手の思考の流れを止め、話す意欲を削いでしまいます。
- 自分の経験や知識を語りすぎる: あくまで相手から引き出すことが目的です。自分の話は最小限に留めます。
- 評価や批判をする: 相手の語る内容に対して善悪や優劣を判断するような態度は、信頼関係を損ないます。
- 結論を急がせる: 暗黙知の引き出しには時間と根気が必要です。すぐに答えが出なくても粘り強く対話します。
引き出した暗黙知を問題解決に活かす
傾聴を通じてベテラン社員から引き出した知見は、そのままでは単なる情報に過ぎません。これを組織の知として形式知化し、共有・活用する次のステップがあって初めて、問題解決や組織能力向上に繋がります。
例えば、特定のトラブル対応に関するベテランの暗黙知を引き出せたとします。単に「こうする」という手順だけでなく、「なぜその手順なのか」「どんな兆候が出たらその判断をするのか」「過去の失敗から何を学んだか」といった背景を含めて聴き取ることで、その知識は再現性の高い、応用可能な知恵となります。
引き出した知見を、マニュアルへの追記、研修コンテンツの作成、メンター制度の導入、部門内での勉強会開催などに活かすことで、若手社員の育成スピード向上、特定の問題解決能力の底上げ、過去の失敗の繰り返し防止といった具体的な成果に繋がります。
このように、傾聴は単にコミュニケーションを円滑にするだけでなく、組織に眠る貴重な資産である暗黙知を掘り起こし、形式知へと変換する第一歩となるのです。これは、個別具体的な課題解決から、より広範な組織能力の向上、ひいては持続的な競争力の強化にまで繋がる、マネージャーにとって不可欠なスキルと言えるでしょう。
まとめ
ベテラン社員が持つ暗黙知は、組織にとってかけがえのない財産です。しかし、その性質上、意識的にアプローチしなければ失われてしまいます。
傾聴は、この暗黙知を効果的に引き出すための強力なツールです。相手への敬意を持ち、オープンクエスチョンや沈黙の活用、非言語サインへの配慮、感情や具体的なエピソードの引き出しといった傾聴スキルを丁寧に実践することで、言語化が難しかった経験知や判断基準に光を当てることができます。
引き出した暗黙知を組織内で共有・活用することで、個人のスキルアップに留まらず、チームや組織全体の課題解決力、適応力、生産性の向上に貢献します。ぜひ、日々のベテラン社員との対話において、ここで紹介した傾聴の姿勢とスキルを意識的に取り入れ、組織に眠る知恵を引き出す第一歩を踏み出してください。